先輩の前で
頭を伏せて寝てたんです
Kraken Japan
代表
千野剛司
ちの・たけし

Kraken Japan代表。慶應義塾大学卒業後、東京証券取引所に入社。2016年よりPwC JapanのCEO Officeで活動。2018年に仮想通貨取引所「Kraken」を運営するPayward, Inc.に入社。2021年6月、一般社団法人日本暗号資産取引業協会(JVCEA)の理事(副会長)、日本暗号資産ビジネス協会の理事に就任。

社会人になっても「闇落ち」せず、楽しく働きつづけるコツ

Vol.3
就任秘話
  • #ブランディング
  • #社長
  • #金融

先輩や上司からめちゃくちゃ嫌われていた

ぼくはそんなに、おもしろい人間じゃありません。

キャリアとしては、新卒で「東京証券取引所」に入って、そのあと監査法人・経営コンサルの「PwC」。そして今は、仮想通貨の取引所をやっている「Kraken(クラーケン)」の日本法人の社長をしています。

これだけ言うと「すごくお堅い人」みたいに思われることもあります。

ただ、ぼく自身はそんなにちゃんとした人間というわけでもなくて。特に新卒のころなんかは、先輩や上司からめちゃくちゃ嫌われていたんです。

今日は、そんな与太話からはじめてみてもいいでしょうか。

先輩のことを「コイツの話、マジでおもしろくねえな」と思っていた

嫌われていた理由はかんたん。とにもかくにも「生意気」だったからです。

会社に入ったら、2年目の先輩がマンツーマンでいろいろ教えてくれていました。だけどぼくは、目の前で頭を伏せて寝てたんです。「コイツの話、マジでおもしろくねえな」と思って。ヤバいですよね。

やすみ時間に、行方不明になったこともありました。ぼくは行き先を言ったつもりだったんですけどね。気づいたら「あいつが逃げたぞ!」と騒ぎになっていて。数名の先輩で、捜索部隊が結成されたりなんかしました。

あとぼく、大学の研究テーマが「証券取引所」だったんですよ。そこで取引所の抱える問題を分析していました。

たとえば東京証券取引所の役割って「上場企業の管理」なんですね。でも実は東証自体も、上場企業なんです。「それって利益相反するんじゃないか?」という思いがあって。そういう問題意識を、ゲーム理論的に分析したんですよね。

……こんな話を、東証の上司にしていたんです。で、当然ですが煙たがられていました。まあ入社していきなり自社の問題点をゲーム理論で語る新卒とか、ふつうに考えてイヤですよね(笑)。

生徒会長に立候補した。公約は「靴下の自由化」

昔から、すでに決まっている仕組みを「一歩引いて、俯瞰してみる」ことが、わりかし好きでした。

中学が「白い無地の靴下以外はダメ」という校則だったんですよ。でもぼくは「意味がないだろ」「べつに白じゃなくてもいいじゃん」といって、生徒会長に立候補しました。マニュフェストは「靴下の自由化」です(笑)。

ありがたいことに当選して、学校と戦いました。でも結局「色はダメだ」という話になっちゃって。なんとか「ワンポイントはOK」という改正だけ勝ちとりました。

生意気にやっていたら、異例となる「2年目での出向」

そんな感じのまま、社会人になってしまった。だから東証ではだいぶ浮いていたというか、悪目立ちはしてたと思います。

新卒2年目になったとき「出向しろ」と言われました。行き先は「清算機関」というところ。

当時「2年目の出向」って、会社ではあまり前例がないと言われたんです。親からは「アンタ、東証に入ったのにすぐ出向って、なんかよからぬことをしでかしたんでしょ」と言われました。同期からも「お前やらかしたの?」みたいに言われて。

でも実際には「抜擢」の意味合いが強かったんです。それはあとになって、上司から聞いた話なんですけど。

当時、清算機関から「デリバディブをわかってて、イキのいい若手がほしい」というリクエストがあったそうです。デリバディブっていうのは、金融商品の名前です。

ぼくは生意気ではあったけど、仕事や勉強は真面目にやっているつもりだった。そこをちゃんと評価してくれた人が、いたのかもしれないですね。

昔の東証は、体育会系だった

まあでも、若いうちから大きな仕事を任せてもらえたことは、ある意味で作戦通りでした。というのも、ぼくが東証に入社した2006年ごろって、社内に高度な専門分野をもっている人が、まだそこまで多くなかったんですよね。

なぜかというと、東証、というか証券業界ってもともとは肉体労働的な世界だったから。いちばん近いのは、築地とか豊洲の魚市場の雰囲気です。要は「セリの管理をする人」が、金融の世界では「東証の職員」なんです。

昔はインターネットがありませんでした。だから実際に立会場まで行かないと、株の注文ができないんです。人がもみくちゃになっているなかで「野村が3,000株買い!」みたいな。

(参照:日本取引所グループ 沿革

立会場では身長が高くないと、手サインでやる注文が見えません。だから各証券会社は、バスケ部とかバレー部とか、身長が高い人を雇っていたみたいです。

東証の主な役割は「交通整理」。みんなが自分の注文を通すために必死なので、現場は当然、おじさんたちの修羅場になります。これをいなすために、東証も体育会系で体格のいい人を採用してました。

当時の東証は、年に数枚ワイシャツが支給されたそうです。立会場でめちゃくちゃぶつかったりこすれたりして、ワイシャツがすぐダメになっちゃうので。

いまはインターネットの普及によって、東証の役割も立会場の「交通整理」から「おもしろい企業の発掘・管理をして、日本市場の価値を高める」にシフトしていったんですよね。それですこしずつ、専門分野をもつ人も採用するようになって。

すいません、余談でした。まあでもとにかく、若いうちからいろんな経験をさせてもらえたのは、すごくよかったですね。

会社にめちゃくちゃキレる

そうだ。東証に入るとき、もうひとつ魅力だなと思ったのは「海外留学させてくれること」でした。やっぱり、日本だけにいると視野がどんどん狭くなってしまうと思って。

ただ、これがぜんぜん思うようにいかなかったんです。

説明会の時点で、会社も「海外留学できます!」とアピールしていました。ぼくは1年目から、ずっと申込みしてたんですね。だけど入社した直後に、リーマンがぶっ飛んだ。リーマンショックが起こったんです。清算機関でも、その後処理があまりにも忙しくて。だからぜんぜん留学に行かせてくれなかったんです。

ぼくが「でも、そんなの会社の都合じゃないですか。行かせてくださいよ」といったら、以前から何かとお世話になっていた役員から突然、お昼ごはんに誘われて。「お前を留学に行かせてやりたい。だけど過去には、NTTの民営化で1年遅らせた先輩もいる。だからお前も遅らせろ」と言われて。

「え、ぼくとその先輩って、まったく関係なくない……?」って思いましたよ。

しかもそのあと人事から「留学は2年じゃなくて、1年にしてくれ」とも言われて。当時は心のなかで「おいマジでふざけんなよ」って、めちゃくちゃキレてましたね(笑)。

結果オーライのイギリス留学

留学先は、イギリスのオックスフォードになりました。アメリカのMBAは2年制だったのですが、ヨーロッパは1年制だったので。結果的に、これがよかった。

オックスフォードのMBAのコンセプトは「社会を変える」というものでした。「どうやって年収を上げるか?」じゃなくて「どうやって社会を変えるか?」を話す、青臭いヤツらばっかりで。それがぼくの価値観と合っていたんです。

英語はそこまで苦労しませんでした。大学4年生のとき、カナダのトロントに3ヶ月、語学留学したんです。親に頼んで、100万円ぐらいお金を借りて。

でも、学校のプログラムがぜんぜんダメで。「英語、ぜんぜん伸びないじゃねえか」と思っていました。でも留学して2週間くらい経ったとき、韓国人の女の子と付き合うことになったんです。

彼女とは、共通の言葉が英語しかない。だから1日10時間くらい、ずーっと英語でしゃべってました。

会わない時間は、ヘンなラブレターを書いたりなんかして。そしたら辞書も引くじゃないですか。彼女とのコミュニケーションが、いちばんの勉強でしたね。

会社からはすごく目をかけてもらっていたけど、転職した

オックスフォードから帰国して、2年後にPwCへ転職しました。

留学したら、ほんとうは最低でも帰国後5年は、東証で働かないといけないんです。でないと、留学費用を返さないといけない。

東証はとてもいいポジションを与えてくれていました。にもかかわらず、どうして辞めたのか。

一言でいえば「このままいくと、社内通になるだけなんじゃないか」という不安を感じたからです。

会社はぼくを、経営企画のポジションにつかせてくれていました。若手なのに、取締役会で説明する機会なんかもいただいたりして。かなり目をかけてくれていたと思います。

でも、やればやるほど同じプロセスの繰り返しに思えてきてしまって。

もちろん、案件は変わるんですよ。でも、登場人物はいつも同じなんです。やることは結局「まずこの役員を説得して」とか「この部長にはこういう切り口がいい」とか。そういう社内通の能力ばっかり、身についている感覚がありました。

「これをずっとやっていくのかな」って、考えるようになったんですよね。

人事からの最後の言葉は「引き止められると思ってた」

ヘッドハンターからPwCの話をもらったのは、そんなタイミングでした。PwCの「CEOオフィス」という経営企画みたいなポジションでした。

内容は「デジタルの力を使って、より高いクオリティのプロフェッショナルサービスを提供していきたい。そのために力を貸してほしい」という感じでした。いまふうにいうと「DX」ですね。

ふつうのコンサルにはあまり興味を持てなかったのですが、もらったお話は変わったポジションでした。「なんか面白そうだな」と思って、転職することにしたんです。

東証には、留学費用を返しました。帰国後、2年しかいなかったからです。全額は自分では返せなかったので、足りない額は親に頭を下げて借りました。辞めるとき、人事からは「引き止められると思ってた」と言ってもらいました。

すごくありがたかったのですが、どうしても「新しいチャレンジをしてみたいな」という気持ちを抑えきれなかったんです。

コンサル業界の抱える問題点

コンサル業界に入ってみると、ぼくはある問題に気づきました。この業界の一部では「バズるワードを作れば勝ち」みたいな風潮があったんです。

たとえば「SDGs」。悪いコンサルは、まずメディアを使って「これからはSDGsだ!」と焚きつけるわけです。で、クライアントに「御社の競合であるA社もB社も、こんなSDGsの取り組みをやっていますよ。御社は大丈夫ですか?」なんていうホラーストーリーで煽って、仕事をとる。

クライアントの社長は焦って、とりあえず社内に「SDGs推進室」みたいなのをつくるんです。そこに昔のぼくみたいな、イキがって調子にのってる若手社員を集める。「このプロジェクトの成果は、取締役会でも共有する重要なものだ」とかなんとか言って。

すると若手も「俺たち期待されちゃってるよ」と思って、がんばるじゃないですか。それで半年くらいリサーチや会議をして、最後はレポートをつくって「はい、終わり」。実用化や実際の事業には、つながらないんです。もちろんちゃんとしたコンサルもたくさんいるんですが、そういう悪いコンサルも多かった。ぼくは、そういう仕事はしたくありませんでした。

クライアントの経営陣や現場の人を呼んで、PwCがファシリテーションをしながら、ガチンコで議論してもらう。そのうえで、出てきた案に対して「PwCはこういうところでお手伝いできます」と提案するようなやり方が、うまくいっていました。サービス開発や実用化に向けての支援を、本気でやれている実感があった。PwCでの仕事は、とても楽しかったです。

どうしてもプレイヤーがやりたい

それでもぼくはその後、Krakenへの転職を決めました。

PwCでは「楽しさ」のいっぽうで「もどかしさ」もあったんですよね。コンサルタントって、どこまでいっても「アドバイザー」なんです。あくまでも個人的な感覚ですが。やっぱりぼくは、現場で走り回る「プレイヤー」をやりたかった。

そんなとき、声をかけてくれたのがKrakenのCOOだったんです。

彼とはじめて会ったのは、東証時代。ぼくがブロックチェーンをリサーチするプロジェクトの、メンバーに選ばれていたときでした。リサーチの一環で、シカゴのカンファレンスに出張していたんですよね。そのときに、名刺を交換していろいろと話していたんです。もう何年も前のできごとなんですけど、彼はそれを覚えていてくれて。

オファーの内容は「日本で仮想通貨の取引所を立ち上げたい。日本の金融規制に詳しくて、かつビジネスを立ち上げられる人を探している」というもの。それって、ぼくが東証時代に身につけた「金融の知識や経験」と、PwCでの「デジタル化の集中訓練」のかけ合わせだなと思ったんですよね。

「Krakenなら、自分がこれまでやってきたことを活かせそうだ」。

そう感じました。ただいっぽうで、ちょっとした葛藤みたいなものもあって。

今度こそ、外から業界を変えられるかもしれない

というのも、Krakenに転職することは「東証時代の自分を真っ向から否定すること」でもあったからです。

仮想通貨を成り立たせているのは、ブロックチェーンによる「分散型」の仕組み。一方、東京証券取引所の根幹は「中央集権型」なんですよね。ブロックチェーンによる金融の仕組みが広まることは「東証がいらない世界」へ、近づいていくことでもありました。東証時代、リサーチはしたものの、結局ブロックチェーンを積極的に導入しなかったのも「自分たちの墓をみずから掘る行為だ」と感じたからでした。

それでも、ぼくは「チャンスだ!」と感じたんです。金融業界の問題点は、それなりに理解していたつもりでした。学生時代から論文にまとめて、上司に熱弁していたくらいなので。だけど業界の「中」にいたがゆえに、既存の仕組みを変えることはできなかった。

今回は、まっさらな状態で「外」から新しいものをつくるアプローチ。それなら今度こそ、業界を変えられるかもしれないと思ったんです。

最初の仕事は「市場撤退の後処理」

Krakenに入社してからは、まさに怒涛の日々でした。

実はぼくが入った2018年のタイミングで、Krakenは日本市場から一時撤退していたんです。最初の仕事は、その後処理。それが落ち着いたタイミングで、体制を整えました。外部の優秀なメンバーも、ひとりずつ順番に口説いたりなんかして。そして2020年に、サービスの再開を実現させました。

仮想通貨の2つの業界団体の、理事にもなりました。「一般社団法人日本暗号資産ビジネス協会(JCBA)」と「日本暗号資産取引業協会(JVCEA)」という団体です。

新しい金融市場の確立のため、あの手この手で試行錯誤しているところです。

おもしろい後輩が「闇落ち」していると悲しい

「靴下の自由化」をかかげて生徒会長に立候補した中学時代から、ぼくのメンタリティはぜんぜん変わっていません。

既存のルールや仕組みを俯瞰でみて疑う。そして問題を発見して、自分が正しいと思うものへ仲間と一緒につくり変えていく。

なかには、既存のルールや仕組みを疑うことなく染まってしまう人もいます。

ぼくはそれを「闇落ち」と呼んでいます。「こいつおもしろいなあ」と思っていた後輩が、ひさしぶりに会って闇落ちしていると、とても悲しくなる。

でもそういう状態って、会社からは「おまえ分かってきたな」「学生っぽさがなくなってきて、ようやく社会人っぽくなってきたな」って、むしろ褒められるんですよね。そう言われたらもう、完全なる闇落ちです。

その会社の独自ルールに染められれば「一丁あがり」

そういう会社は「いかに若者の牙を抜いて、自分たちの色に染めるか」ばかり考えています。

結局なにをやりたいかというと、管理コストを下げたいわけですよ。

上司がコントロールしやすくて、自分のいうとおりに仕事をやってくれる人材をつくりたい。もっというと、言わないでもやってくれる人材をつくるのが、いちばんラクじゃないですか。

そのために社内の独自ルールとか、独自カルチャーをつくって、どんどんどんどん染めていく。で、10年くらい働くと、もう一丁上がり。その組織でしか、働けない人間になっちゃってるんです。

ぼくはこれが、多くの日本組織のけっこうな問題だと思ってて。

……って、こんな話をすると、また嫌われるんですけど。

これからの日本を面白くする人たち

とはいえ日本の企業にも、まだチャンスは残されていると感じます。

具体的には、漫画やアニメなどの「コンテンツ」。たとえばぼくの専門領域であるNFTでいうと、豆をモチーフにした「Azuki(あずき)」というアニメ系のNFTは、発売から数日で36億円も売り上げました。そのNFTには日本の文化やコンテンツの要素が、すごく取り入れられています。「あずき」という名前はもちろん、キャラクターは刀を持っていたりするんです。

だからポテンシャルは、すごくあると思っていて。

(ぼくなりの日本に対するより具体的な提言については、拙著仮想通貨とWeb3.0革命でまとめています。こちらもぜひ読んでいただけるとうれしいです。)

違和感があるのに、社会のルールや仕組みに染まる必要は、まったくないと思うんです。

もちろん「面倒くさいヤツだな」と煙たがられることはあります。ぼくも「生意気だな」「斜に構えるな」「素直が一番」って、ずっと言われつづけてきましたからね。とくに年の近い先輩からは、ことごとく嫌われます(笑)。

でもいっぽうで、ちゃんと見てくれている人もいるんです。

東証時代、前例のない出向や海外留学という経験をさせてもらえたのは、ぼくなりに仕事や勉強に本気で取り組んでいたことを、ちゃんと見てくれてる人がいたからでした。

PwCも「あなたの力を貸してほしい」と、声をかけてもらったことがきっかけです。Krakenも、何年も前の会話を覚えていたCOOが「日本ビジネスなら彼だ」と思ってくれたから、社長という責任ある立場を任せてもらえています。

自分の抱いた感情に、素直に向き合いつづける。そうすればきっとどこかで、あなたの味方になってくれる人が見つかるはず。

そういう「生意気でおもしろい奴ら」が、これからの日本をよくしていくんだと思うんです。

執筆・編集藤本健太郎
Text & Edit By Kentaro Fujimoto
イラスト大石いずみ
illustration By Izumi Oishi
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